【健康思考】食べたい・食べたくない|1日1分で非常識に健康的に
裕です。
食べ物を避けようと考えるとき、「食べたい」と思うのか、それとも「食べたくない」と思うのか、と言うお話。
普通に考えれば「食べたい」けれど「食べてはいけない」なのですが、私の場合は少し違うようです。
食べたくない!
例えば帰り道などに食べ物の誘惑があったとしても、私は「食べたくない」と思います。食べたくないんです。気持ちが悪くなることは目に見えていますから。拒食症ではありませんが、私は余り食べることは好きではありませんでした。「でした」というのは、今は別に中立的な見方しかしていないからです。昔は食べることは「面倒なこと」であり、他の人たちがなぜこんなことが好きなのか分からないと思っていました。
単純に自分の欲求に対して無頓着だっただけなんですけどね(笑)しかし無頓着であれば、自然と欲求のレベルも下がるということを、私は知りました。
契約の4つの要素は何ですか?
中学生くらいですね。その頃の私はゲームが好きで、一日中ゲームをしてフラフラになっても、それでもまだゲームをするくらいのゲーム好きでした。おかげで、裸眼では1cmくらいに近寄っても殆ど形も判然としないほど目が悪くなりましたが^^;
それくらい熱中できるものがあったので、当時の私は食べ物に関しては無頓着でいられたのだと思います。何か熱中できるものがあれば、食事など取るに足らないものになるということ。この経験から、そう学びました。
子供の肥満のための大臣
資本経済の根本にある「食」のマーケット
食べることは、まさに死に向かうことだと思います。現代の科学技術レベルを持ってすれば、別に食にこだわる必要なんて無いはずなのです。しかし執拗に食にこだわり続けるのは、資本経済の本質が食に根ざしているからに他なりません。「食欲は健全なもの」として定義しておかなければ、経済の循環を著しく妨げることになります。経済の中で一番大きな市場は、考えるまでもないですが食に関する市場でしょう。次いで性欲に関する市場でしょうか。とにかく人間の欲求に根ざす市場は、大きいと言うことです。
しかし、食を追求しても得られるものは何もないと、既に分かったはずです。これ以上無駄なことを追求するのはやめましょう。これ以上病人を増やし、無意味に薬を飲み、無意味に手術される人間を増やすのは やめましょう。無意味に変性遺伝子を増やすのをやめましょう。
私の息子は学校のトイレを使用することはありません
市場に食べ物が無ければ、人は食欲をある程度まで抑えることが出来ますし、代替産業が発達すればそちらで欲求を発散することもできます。少なくとも私は、酵素飲料を今よりももっと美味しく、手軽(な価格)に、誰もが飲めるような形にするだけでも全く違った未来が見えてくると確信しています。
食べることで酵素を得るよりも、食べないことで酵素を節約する方が余程身体にとっては有益です。
現代人の生活パターンならば、別に2日に1食でも殆ど問題になることはないでしょう。むしろ食べすぎることが問題になっているのですから。
だからこそ私は食べたくない
だからこそ、私は食べたくないのです。出来る限り食べないことが、一番健康的なことなのです。そして、そちらの方が余程気持ちよく日常を過ごすことが出来ます。それを理解するだけで、世の中の全ての人がより快適に生活できるとすればどうでしょう。
一人でも多くの人が、「食べないことの方が気持ちが良いんだ」ということに気づけば、少しずつですが社会は変わっていくと思います。そういう小さな変化が大事なんです。それを一人ひとりが発信していけば、きっと大きな変化になるでしょう。
そうすれば、毎日様々な食べ物の悩みにさらされることも無くなりますし、もっと有益なことに時間を使うことが出来るようになります(笑)
もちろん、これは私の考えであって、納得できない人もいるでしょう。変化は徐々にしか起こりませんので、どの時点で納得するかは個々人の自由です。しかし、このまま食の在り方が変化しなければ、人類は間違いなく悪い方向にしか進みません。なので、未来はどこかの時点で「食べ続� �ても大丈夫な変化」か「食べない変化」のどちらかにシフトしていくはずです。
そのとき、あなたはどちらに向かいたいか。それが、この世界の未来を決定づける判断となるでしょう
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